2013年10月09日

あなたバカですか?

「あなた、バカですか?」
よっぽど言ってやろうかと思ったのですが私は大人です。
大人が大人に対して気軽に使っていい言葉だとは思えません。
ですので、そこはグッとこらえるしかなかったわけです。


「あなた、バカですか?」 そういった意味合いの言葉を平気な顔で言う人はいます。
でもそれは、上司が部下の仕事ぶりに対しての言葉だったり、
あるいは、日常の会話の中で冗談交じりに言う場合がほとんどだと思われます。

「あなた、バカですか?」
そんな言葉を到底口にするはずがない、あるいは口にできるはずがない、
そういう立場や職業に就いている人もいるわけです。
もしもです、そんな立場にいる人が、
「あなた、バカですか?」 思わずこの言葉を発してしまったという場合、
周囲の者は、その発言をどう捉えるでしょうか。

一般的に考えれば、「それは言ってはならない言葉じゃないんですか?」
非難の声があがるものと思われます。
しかし、たとえば部下が上司に向かって言ってしまった場合、周囲の者は、
「あいつがそんなことを部長に言ったのか? 本当に?
いきさつは知らないけど、よっぽど理不尽なことを言われたんじゃないのか」
おそらく、「言われた上司が、目に余るほどのバカなことを言ったんだろう」

本来なら「バカですか?」と言った部下は、皆から非難されるはずなのに、
思わず言ってしまったに違いない、きっとそんな状況に追い込まれたんだろうと、
非難どころか同情を示すのではないかと思うのです。


古い記事からの引用になりますが、裁判官が被告に対して言ったそうなんです。
「あなた、バカですか?」
その発言の前に、この被告と、どんなやりとりがあったのかは知りません。
知りませんけれど、裁判官はまさかそんなことは言わないだろうと、
我々は思っているわけです。
絶対にそんな言葉を使うはずがないだろう裁判官が言ったということは、
よっぽどイライラして、あまりもの被告のバカさ加減に、
つい、口から出てしまったんだなと理解します。
またそう思うので、事情も知らないのに裁判官に同情するのです。
この裁判官の発言が許されるのか、許されないのか、そんな次元ではなく、
「詳細は知りませんが、裁判官、あなたの気持ち、痛いほど分かります」
世間の多くの人は思ったのではないでしょうか。

おそらくの想像ですが、
「紙に火を点けたら燃える。こんなことは子供で分かることですよね。
そういった行為をあなたは実際にしたわけです。
それなのに、あなたは予測できないことだったと言い張るのですか?」
「その時の私は、まさかこんな事態になるとは考えませんでした」
「もう一度言います。紙に火を点けたら燃える。このレベルのことなんですよ」
「でも、紙に火を点けたら絶対に燃えるとは言い切れないんじゃないですか?」
こんなやりとりがしばらく続いた後に、
「あなた、バカですか?」の発言になったのだと推測します。


身近でも、似たような事態は起きているのかもしれません。

市が設置している消費者相談窓口。
「50万円渡せば100万円になるって言われたんですよ。普通、渡しちゃいますって。
だって、こんなに利回りのいい商品は他にはないんですから」
「いや、そんなにおいしい話なら、少しは疑って」
「あれ? なんだか、だまされた私も悪いみたいな言い方をするんですね」
「いえ、どんな場合でもだまされた方が悪いなんて私は言いませんけれど」
「こんなにおいしい話、誰だって飛びついちゃいますよ。違いますか?」
この後も、ながながと自分の正当性を繰り返し続けられたら、相談員も切れます。
「あんたが、バカだからなんだよ!」

しょうがないと思います。
こちらの許容を遥かに超える人の存在、それはコミュニケーションの不成立です。
posted by 貞吉 at 19:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月30日

賃金の直接払い

給料は @通貨で A直接労働者に B全額を C毎月1回以上 D一定の日に
支払わなければなりません。 これを賃金支払いの5原則といいます。

「直接労働者にって言うけど、うちの会社は銀行振込なんだけど」
その場合、本人名義の口座以外に振り込むことは許されていません。
実際に銀行口座振込が大半を占めていると思われますが、
まだ、封筒に入れ「ご苦労様」なんて言いながら手渡す会社も多く存在します。
その場合、たとえば工場で働く未成年者がいたとしても、給料日に母親が、
「息子に渡すとすぐに使ってしまいますので、私が代理で受け取ります」
そう言ってきても渡すことは許されていません。
妻が「主人に渡すとギャンブル狂なので」と言ってきても、渡してはいけません。
あくまでも労働者本人に手渡すことが義務付けられています。
受け取りに来たのが、親でも、妻でも、法定代理人であってもです。

さて、この「直接労働者に手渡す」には例外が存在します。
取りに来た者が「代理」ではなく「使者」ならば、渡しても良いとされているのです。
「使者?」と思うのですが、深く学ぼうという気持ちは、まだ私にはありません。
現実的に、あまり有り得ないケースだろうと思われるからです。



「すいません。山本弘の給料なんですが。
本人、休んでいるんで、私が受け取りにきました」
ストライプのスーツに、色シャツは第2ボタンまで外され当然、ノーネクタイ。
首元にネックレスが見え、高価そうな腕時計。サングラスは手に持っています。
総務の人がおそるおそる対応します。
「山本くんの給料を、ですか? 失礼ですが、山本くんの御兄弟様ですか?」
「いいえ、違います」
「……そうですか、失礼しました。といいますか、誰であっても同じなんですが、
給料は直接本人へ、山本くんにしか手渡せないんですよ。
申し訳ないんですが、これは法律、労働基準法で決められていることなもんですから」
「私、山本弘の使者です」
「はい? 使者? 使者……ですか?」
「ええ、そうです。私は山本弘の使者です」

誰がどう見たって、使者と名乗る男は、タチの悪そうな金融業者です。
何も言えない総務担当者に使者を名乗る男が切り込んできます。
「使者なら、山本くんの給与を受け取れるんですよね。御存じですよね。
それこそ、おたくが今言っていた労働基準法で決められていることですから。
山本くん本人から、私が使者であることを証明する書面も受け取ってます」
出された証明書面は、端に拭き取られた後の血のようなシミがあり、
その他、色のないシミもいくつかあり、涙なのでは?と想像されます。
書かれてある文字はヘロヘロ。 印は印鑑と拇印の両方あります。

「本人、山本くんはケガをしちゃいましてね。今、家で寝てるんですワ。
どうしても現金が必要なので、あんたが、私ですけどね、取りに行ってくれと。
言ってみればお使いです。本人の意思の元に使わされた者ということです」
総務としては、こういう事態をシミュレーションしていません。
対抗する言葉が、手段が浮かんできません。
しょうがないので、拇印で捺印してもらい、給料を手渡すことになります。
「これから、給料日に山本くんはケガをして会社に来られないかもしれません。
その際は、私がまた使者としてやってきますので、よろしく頼んます。
彼をクビになんかしないでくださいね。これは法に乗っ取った行動なんですから」

翌日から、顔を腫らした山本クンは出勤し、それこそ黙々と工場で働きます。
そして半月が経ったころ、山本くんはまた会社を休みます。

「すいません。私、工場で働く山本弘くんのアパートで同居する者なんですが」
また、やっかいな者が来たぞと総務の給与担当者がでてきます。
半月ほど前に来た、使者と名乗る男とは別人です。
しかし、同じような身なりから、こいつも金融関係の者と察することができます。
あいつはいったい何社から借金を重ねているんだ、そんなことを思いながら、
「失礼ですが、どちら様でしょうか?」
「ですから、山本くんの所で面倒をみてもらってる者です。証明する書面もあります」
「そうですか。………で、どういったご用件で?」
「実は山本くん、ケガをしちゃいまして。病院へ行きたいから、給料日前なんですが、
給料の非常時払いの請求をしようと。半月分の既に働いた分の給与の請求です」

 【非常時払い 労働基準法 第25条】
  使用者は、労働者が出産、疾病、災害、その他厚生労働省令で定める
  非常の場合の費用に充てるために請求する場合においては、
  支払期日前でも、既往の労働に対する賃金を支払わなければならない。


私が将来、マチキンに手を出し、いよいよ首が回らなくなったら、
「使者」の定義を深く学習し、対応策を考えなければと思ってます。
posted by 貞吉 at 19:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月24日

信号の黄色

信号が黄色に変わりました。
にも係わらず、私の前を走る車は、1台、2台と、
黄色になっている状態の交差点に突入し、突っ切っていきます。
私は4台目だったのですが、さすがに無理だろうと諦めました。
しかし、私の前を走る3台目の車は、「まだ行けるかも」と判断したのでしょう。
果敢に交差点への突入を試みたのですが、しかし、すぐに赤に変わって断念。
横断歩道の上で停止していたので、しぶしぶバックで私の前まで戻ってきました。

ドライバーの多くは、信号の黄色を、
「まだOKだよ。でも、もうすぐ赤になるから行くなら早く行っちゃってね」
このように都合よく解釈している部分があります。
だから、交差点に入る直前に信号が黄色になっても停止しない人が多いのです。
決して褒められた運転ではないのですが、これが現状だと思います。

さて信号は赤。赤の下に右折車専用の緑の矢印が出ていました。
直進はダメだけど、右折する車だけは行ってもいいよというサインです。
やがて右折専用タイムは、もうすぐ終わりですと、
緑の矢印が消え、そして黄色に変わりました。
その時です。何を思ったのか前の車が急にアクセルを踏んだのです。
しかし、停止している状態からの発進だったので加速がききません。
あえなく左右から発進してきた車にブーイングのクラクションを鳴らされ、
すごすごバックで私の前、元の場所まで帰ってきたのです。

『あは〜ん、こいつ勘違いしやがったな』 私は思いました。
おそらく、ボウーッとしていたんでしょう。
そしてふと、前を見たら信号機は黄色。
「えっ、黄色? 俺は何をやってるんだ。赤じゃなくて黄色じゃないか、行けるんじゃん」
その黄色は、右折専用の信号がもうすぐ終わるという合図の黄色だったのに、
思わず反応しちゃったんだと思われます。
黄色はGOサイン。強くインプットされていたのでしょう。

しかし、1回の信号待ちの間に2回もバックで退散してくるって、
本人からすれば赤面ものの行動だったと思います。
私としては、なんとなく気持ちが分かるので思わず微笑んでしまいましたが。
信号が青になり、前の車は猛スピードで逃げるように走り去って行きました。
posted by 貞吉 at 21:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月19日

いつものあそこ

母親から頼まれごとをされました。
「パパ。お父さんを、いつものあそこまで車で送って行ってもらえないかな」
なんで母親の隣にいる父親が直接言ってこないのか、不思議ではあるのですが、
それはとにかく、相も変わらずの母親らしい言い方です。

“いつものあそこ”
そう言うからには、週に1度、少なくとも月に1度の頻度で出かけている、
そんな場所を指しているんだろうなと、普通なら考えるはずです。
しかし相手は母親です。こんな普通の推理は根本から木っ端みじんにされます。
私、何度も痛い経験をさせられているので、分かるのです。
あなた、それを“いつものあそこ”と表現したのか? えー? になるのです。
だから、「どこだろう」なんて考えてはいけません。無駄になるだけですから。

「いつものあそこって、どこのことを言ってるんですか?」
素直に母親にたずねます。
「ほれ、あそこよ、あの、お寺。何度も送ってくれたじゃないの」
ようやくヒントを与えてくれました。お寺らしいです。
2回ほど送って行ったことのあるお寺が、唯一思い当たる場所でした。
2回という回数は決して多い回数ではないのですが、一応複数なので、
母親からすれば“何度も”に該当するのだろう。そう思ったので、
「それって、会津高校の近くのお寺ですか?」
「違うわよ、ほら、いつも送ってくれたじゃない」
そこでようやく、送ってもらう当の本人である父親が口をはさんできます。
「いや、いいんだ。そこだ。会津高校の近くでいいんだ」
自分が間違いだったということに照れることもなく、母親が父親に言います。
「………あら、そうなの? “いつものあそこ”って、あそこじゃなかったの?」
「いや、会津高校の近くでいいんだ」
「じゃあ、“いつものあそこ”じゃないじゃないの」
「………あんたが言ってる“いつものあそこ”っていうのは、
ほれ、なんだ、ほら、あそこの近くの寺だべ」
「そうよ、あそこの近くのお寺に行くんじゃなかったの?」
2人が言う“あそこの近くのお寺”が共通の場所であるかどうか、
そんなことはお構いなしに父親と母親の会話は続けられます。
「今日は終わった後に会食があるから、会津高校の方なんだ」
「なぁ〜んだ、私はてっきり“いつものあそこ”だと思ってたわよ」
出来れば、私に頼む前に2人だけで済ませておいてほしい会話なのですが、
ようやく結論がでたようです。父親ではなく、再度、母親が私に言ってきます。
「パパ、今日は“いつものあそこ”じゃなくて、会津高校の近くだって」
私、なにも返事をしませんでした。
ちょっと他のことを考えていたからです。

『会津高校の近くの寺まで送って行く。それは分かった。
じゃあ、“何度も送った”という“いつものあそこ”のお寺って、どこだ?
あそこの近くの寺では、あそこがどこか分からない以上、いくら考えても無駄。
たった1回送って行っただけでも、この人は“何度も送った”と言ってくるのだろうか。
そうなってくると、この人の口から出る単語は何一つ根拠がないものになるな。
でもさすがに、少なくとも1回は送って行ったことがあるってことだろう。
俺、他の場所のお寺に送って行ったことなんて、あったかな。
……まさか、“確かに何度も送ってもらったじゃないの。佐々木さんに”。
送って行ったのは俺じゃない、そういう可能性もあるんじゃないのか。
……いかん、いかん、無駄なことだって分かってたはずじゃないか。
母親の言う言葉の意味を考えても、なんの答えも出ないんだった』

ちなみに、考えることを放棄するということは、悟りを開くと同じくらい難しいことです。
posted by 貞吉 at 21:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月14日

褒めるの、そこか?

成人式で着飾った姪っ子の、着物ばかりを手で触り褒めまくる叔母さん。
褒めるのは、そこじゃないでしょう。せめて一言、「似合ってるわよ」でしょう。
見当違いの人がいるわけです。


「この町ぶらり食べ歩き」的な、福島地方局の番組でした。
ちなみに番組は生放送です。

中年男性リポーターが老舗の豆腐屋さんをアポなし訪問しました。
ザル豆腐がおいしいことを聞いて訪ねて来た旨を告げ、試食をお願いします。
快く承諾したご主人が、皿に乗せたザル豆腐に小ネギをふって、
「豆腐の味をより味わっていただくには、醤油じゃなくて塩が一番なんです」
そう言いながら塩を振り、さぁどうぞと、リポーターに差し出しました。
中年男性リポーターはそれを受け取り、スプーンでザル豆腐をすくい、口の中に。

さて、中年男性リポーターのザル豆腐を食べた感想です。
「なんかすごくマイルドな塩ですね。しょっぱいというより甘みがあって上品というか」

その感想を聞いた番組ディレクターの感想です(私の想像ですが)。
………………だめだ、こいつ。つかえねぇ。
おまえさぁ、塩を褒めてどうすんだよ。
豆腐の味を引き立たせる役目なんだろう、塩は。
当然、ザル豆腐だろう。ザル豆腐の感想を言えよ。
かわいそうに、店の御主人もなんて答えていいのか、
うろたえているじゃんかよ。

こんなところにも、褒めるポイントを外す人がいたんです。


最後に、これは私が本当にやってしまった話なんですが、
「かわいい、お孫さんですね」
褒めたつもりだったんですが、相手はおバアちゃんではなく、母親でした。
「殴るぞ」 すごく小さな声だったんですが、恐い顔でそう言われました。
posted by 貞吉 at 17:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする