2015年02月24日

まずい物を食いきる力

平日の昼。家に居たのは私と父親と母親の3人。

「青森のつゆ焼きそばって知ってる?
その、つゆ焼きそば風に作ってみたの。でも、味の保障はしないわよ」
吉野家で、チゲ鍋でも食ってこようかと思っていた矢先、
先をこされ、昼食を作られてしまいました。
しかし、「味の保障はしないわよ」とは、よく言ったもんです。
どうにもこうにも食えたもんじゃありませんでした。

独身時代、焼きそばを作っていたのに、ラーメンを作っていると勘違いして、
焼きそばの粉末ソースを、麺をほぐしている、お湯の中に入れてしまったことがありました。
あの時と全く同じ味です。食えたもんじゃありません。
おそらく、母親も同じことをしたのでしょう。
「あら、ラーメンじゃくて焼きそばを作ってたんだわ」
しかし、よくもシレっと人に出してきたものです。

2人分しかなかったということで、提供されたのは私と父親だけです。
母親は朝の残り物を食べるということで、別メニューでした。

「お母さん、これ無理です。私、降参します。まいりました」
ふたくち食べて、素直に頭を下げました。
しかし、同じ物を父親は一言も発せずに食べているのです。そして食いきったのです。
父親には味覚というものがないのでしょうか。
あるいは、母親と暮らしてきた長年の慣れでしょうか、訓練の賜物でしょうか。
幾度となく、もどしてしまいそうになったこともあったでしょう、
幾度となく、心が折れてしまいそうになったこともあったでしょう、
それを乗り越えてきたからこそ、今があるということでしょうか。
凄いというより、私には「あぁ、憐れ」とさえ思えました。


うまい、まずいの判断は、人それぞれです。
まずくても、どの辺りまで我慢して食べることができるのか、
その範囲も人様々だと思うのです。
その守備範囲ですが、狭いよりは広い方がいいんじゃないの、そう思うかもしれません。
でも、どんな不細工でも、お年寄りでも、女性なら全て守備範囲。
これと似たようなもので、尊敬の眼差しで見られることはないと思うのです。

「バカもん! うまい、まずいなんて言ってられるか。
戦時中はな、口にできる物なら何だって食って、そして、生きてきたんだ!」
戦争を経験したお年寄りに怒鳴られそうですが、
確かに非常時になったら、生きるか、死ぬかの問題になるわけです。でも、
「っていうか、ジイちゃん。今、戦時中じゃねぇーし」
若者風に、私だって言いたくなります。
今がそんな状況下であったなら、私だって、この「つゆ焼きそば風」と言い張る食物を
文句を言わずに、ひたすら食べきることでしょう。
でも、繰り返しになりますが、今は戦時中ではないのです。
今から、その訓練をする必要はないと思うのです。


いつ、どこで、素人の私たちにもTV番組のドッキリが仕掛けられるか分かりません。
料理店で、わざと悲惨な味付けの料理が出され、
隠されたTVカメラで撮影されてしまうこともあるかもしれません。
「おっ、食い始めるぞ。さぁ、口に入れるぞ、たまげるぞ。どんな表情するか見ものだな。
………………食ってるけど、気が付いてないのか? 
………………この客、我慢して食ってんのか?」
涼しい顔して、全部、たいらげてしまうような人間にはなりたくないのです。

食べ終えた父親を横に見ながら、私、ふと思いました。
この人、ウンコを出されても、食べきってしまうんじゃないだろうか。
posted by 貞吉 at 20:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする